どらやき

ウンパギ

「一度生まれた好きは消えることがなくって」の話

ロロという劇団がめちゃくちゃ好きで三浦直之さんの書く脚本もとってもすきなのですが、ロロの作品によく出てくる「一度生まれた好きは消えることがない」「好きって気持ちは一秒一秒生まれ続けてるんだよ!」に共感できたことがない、という悩みがあるのでその話です

 
これを上手く理解して共感することが出来れば一層ロロの作品を好きになれるんだろうと思うと、今共感できていないことがとてももったいないことのように思うのです
作品を観る上で「共感」って必ずしも必要だとは思わないのですが、好きすぎる劇団なので、共感がほしい
ロロの世界はキラキラしていて「憧れ」と表すのに相応しい存在で、偶像的な存在ですらあるというかんじなのですが、共感がほしい
寄り添いたいし寄り添ってほしいのです 好きだから
(余談でありますがロロの「いつ高シリーズ」は逆に共感の気持ちが持てるところが好きです 教室の隅にいた男の子が教室の中心にいる男の子と会話した時の高揚感、明日から何か変わるかも、みたいな期待感を、揶揄するでもなく期待のまんまに描いていてほんとうに素晴らしかった)
 
共感できない理由は明確で、過去に「好きだ」と思った人への「好き」の気持ち消えた実感が確実にあるから
消えてない「好き」も間違いなくあるのですが(東京にきてすぐ付き合った人のことは今でもめちゃくちゃ好きです、大学生のときに片思いしてた男の子の思い出もそのときの気持ちのまま語れる)、1つでも消えたものがあると、「消えることはない」が撤回されてしまうので共感しきれずにいます
 
だけど、これが「好き」という気持ちから派生した何かのこと、または誰かを好きになった経験を通った自分の姿のことを言うのであればこれは共感のできるものであります
確かに消えてない実感がある サルエルパンツ履いてる男にろくなのがいねえという信念も、嫌いになっちゃった過去の好きな人がいなければ持たなかった信念である実感があります(こんなことを信念と言っちゃだめなのですがサルエルパンツを履いてる男に一切いい思い出がない)

この私が共感しきれていない思想が色濃い作品は『父母姉僕弟君』と『光の光の光の愛の光の』だと思うのですが、『父母姉僕弟君』の下記の台詞にはかなりぐっときます
天球という妻を亡くしたロクという男の人が天球と出会った場所に行って天球との出会いを思い出して言葉にするラストシーンです

『今は、もうなくなっちゃったかもしれないけど、かつてほんとにあって、そのかつてが、今とこれからに繋がりますようにって祈りながら、俺はこうやって、しゃべり続けてて、俺がいつか忘れてしまっても、どこかにそのかつてが生き残りますようにって、俺の知らないところでもたくさんのかつてが生き残りますようにって、祈って祈って、描写して描写して描写して描写して……』

これです この台詞、先に進むにつれ「なんだっけ」という言葉が挟まれるのですが、「なんだっけ」とはっきり、呟くでもなくはっきりと発声しながら思い出そうとする様子、整った文章でなくてもいいからはっきりの言葉にして、「間違いなくあったけどなくなっちゃったもの」のことを繋ぎとめようとするロクの様子は思い出すだけで泣けてくる
これをやりたい!と思うことは自分にも間違いなくあって、こうやって日記をつけることも考えたことを文字にすることもその表れであって、好きな人とのよかった話をしがむ癖も「確かにあった」を反芻したいという動機を含んでいるような気がするほど共感のできることです

ここまで書いて思ったけど「かつてあった出来事」を忘れたくなくて反芻する自分がいて、その出来事のなかには「好き」という気持ちから起こした出来事もあって、それすらもしがむのであればやっぱり「一度生まれた好きは消えない」に共感ができそうな気がしてきたね
果たして………………


創作物の正解を知ろうとするなんて野暮なことなんだけど、自分の中でしっくり落とし込める解がほしいな、と思っています

ロロの台詞に触れたついでに言いたいのですが『ロミオとジュリエットのこどもたち』の「お父さんとお母さんのラブストーリーからあなたは生まれてきたのよ」と、「あらゆる関係性においてあなたを愛していますよ」はとってもすてきだね〜〜
三浦さんの書く愛の表現って惜しみがなく躊躇もなく方法は様々で、ほんと〜〜にキラキラしているね

着地を見失いましたが文章を書いてみたら解をみつける足がかりのようなものは見つけられたので有意義でありました

今日なんかいつもと文章ちがうでしょ スマートフォンで書いたからだヨ〜〜ん